ダイニングテーブルで朝食を食べていると
斜め後ろから「・・・ヴーーーー」って声が。
知らない人が聞いたら
唸り声にしか聞こえない声に振り返ると
ヒーターの前でスタンバってる柴犬が一匹。
ヒーター消えとるで
コタローは家で滅多に「ワン!」と鳴きません。
何かを要求するときもこんな感じで
鳴き声とも唸り声ともつかないような声を出します。
知らない人(家族以外)が聞いたら
とても何かを要求しているようには
聞こえないかもしれません。
近頃は「カーミングシグナル」やら「犬語」やら
犬のボディランゲージや鳴き声についての発言を
目にすることが増えてきました。
それはそれでとても良いことだし
人が犬を理解しようとして学ぶことは
とても意味のあることだと思います。
ただやっぱり
なんでもかんでも教科書どおりにはいかない。
コタローの唸り声のような要求鳴きは
それこそ、どんな犬語の本にも載ってないだろうと思われます。
ある意味キレイな
セオリーどおりの犬語が見られるのは
やっぱり「犬対犬」の場合だと思うんですよね。
「対犬」と「対人」の場合のコミュニケーション方法を
彼なりに使い分けているのだろうと思います。
そうして人間の家族との間にだけ通じるような
「家語」ともいうべきものを編み出して
コミュニケーションをとったりするのではなかろうかと。
これも「ヴー」いいながらぱかーん
「なでろ」とおっしゃってますな
コタローの気持ちを読み取ろうとするのに
「カーミングシグナル」その他の本を
参考にしたことはあっても
それでコタローに話しかけてみようとは
あまり思いませんでした。
きっと私の方法が下手で
コタローに伝わらないってこともあったでしょうし
コタローのほうも私がそういうもので
話しかけてくることを期待してないんじゃなかろうか。
だからムリして「犬語」でどうにかコミュニケーションとるより
普通に「人として」コタローとコミュニケーションをとりたいなと
思うんです。
だからといって
犬にとって不快な方法を取るつもりないですけど
わざわざ唸って見せたり
まばたきしたりするより
普通に人語で「大丈夫だよ」とか「やめて」とか
言って通じればそれがいちばんいいんじゃないかな。
見ず知らずの犬に対するのなら
「犬語」にのっとってコミュニケーションとるのも
いいかもしれませんが
自分の犬には
「犬として」発するものを受け止めてやりたいし
私の「人として」発するものを受け止めてくれたら
うれしいなと思います。
ムリに同じ「種」になろうとするのではなくて
違う「種」だからこそ
相手の発するものをより観察して理解しようとする
そういうのも楽しいものですよね。
実際、犬は人間の動きをよく観察して
たとえ自分とは異なる言葉でも理解しようとしてくれます。
コタローとケイトは今でも
少しずつ距離が縮まってきています。
これが普通の寝姿になりました
最初はケイトが「猫語」で嫌だといっているのを
コタローは理解できなかったりしました。
そのうち慣れてくると
ケイトがコタローのパーソナルスペースを侵すので
コタローに「犬語」で唸られたりガウられたりもしました。
それでもお互いがよく相手を観察して
どんな意味の動作なのかがわかるように
なってきてるみたいです。
今でもケイトは決して「犬語」を話さないし
コタローも「猫語」はできないでしょうけど
お互いがちゃんと「犬として」「猫として」
コミュニケーションをとろうとしています。
カーテンの向こうで並んで外を見ながら
たまに鼻を寄せ合って何かコミュニケーションをとってるみたいです
近づくとケイトが気がついてこっちに来てしまうので
残念ながらこれが精一杯の写真(笑)
でももちろん、犬対犬の中で発せられる「犬語」の世界は面白い!
対人では見られないコミュニケーションがそこにはあります。
そのうち「猫語」の世界ものぞいてみたいんだけどな
(*^_^*)なんてね。
★おまけあります★
落ち葉の中で保護色化する柴
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(●・ω・)ノ-おまけ
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なぜか鼻を突っ込んで
においを嗅がずにはいられないコタローです。
排水溝のブロックの蓋の穴も大好き。
>自分の犬には
>「犬として」発するものを受け止めてやりたいし
>私の「人として」発するものを受け止めてくれたら
>うれしいなと思います。
とても、共感します。
私は、まばたきとか犬語に似た動きで犬に働きかけをするのって、かなり抵抗あります。
犬にとっての「知ったかぶり」っぽいというか、犬の気持ちをわかる振りしてるみたいで、なんか嫌なの。
そんな犬語わかんないし。
外国行って挨拶の単語だけ覚えて、どんなシチュエーションでもハロー、ハローばかり言ってるような感じ?
少なくとも自分の家族とは家族語でいいから、お互いの気持ちの伝え方を学び、そして読み合えるようになりたいですね。
最近みかんにオヤツのねだり方を教えました。
表現力と依存性が乏しい犬なので、教えないとオネダリさえしないあたりが、いじましいの。
★くまごろーさんへ★
共感していただけて嬉しいです(*^_^*)
>犬にとっての「知ったかぶり」っぽいというか、犬の気持ちをわかる振りしてるみたいで、なんか嫌なの。
>そんな犬語わかんないし。
その気持ち、よくわかります。
ほんとに犬語のエキスパートがやるならまだしも
私のようにようやく犬を見ることを始めたような人間が
わざわざ犬語で話しかけるなんて
なんかとっても「ウソっぽい」とか
思っちゃうんですよね(^_^;)
どんなにがんばっても
私は人間だし、犬にはなれないしならないし
だけど人間と犬だからこその関係が作れると思うんです。
そのための「犬語」の勉強でありたいなと思います。
>最近みかんにオヤツのねだり方を教えました。
>表現力と依存性が乏しい犬なので、教えないとオネダリさえしないあたりが、いじましいの。
みかんちゃん、いじまし~い!
そしてそれはおやつでごまかした関係ではないからこそだと思います。
ステキです。
わかります
家族でも、特に夫婦ってよく言われるけどどこの夫婦も交換してはうまくいかないんですよね
それぞれの夫婦にそれぞれの形があるように
そのペアだからこそうまくいっているみたいな
だから教科書どおりなんで人もワンコも気にしなくて良いって思います
カーテンの向こう、仲良く何かを見ていますね
それでいい、それがいい
みたいな感じでやってます
★柴子さんへ★
いちばんの教科書はやっぱり「自分の犬」なんですよね(*^_^*)
それを見ずしてお勉強しても
きっと役に立たないんだろうなと思っています。
追伸:コタローくんのヒーターとの距離のとり方がうちの子よりうまいっって思いました
人間って大人でもついつい近づきすぎちゃいますよね・・・アチチ!みたいな・・・
★柴子さんへ★
ほんとは後ろにあるマットまで下がって欲しいんですよ~。
寒いとずんずん前に来ちゃうんで困りモノです。
こんにちは!
すごく意外な内容というか、目からうろこ状態でした。
犬のために人間が犬語を習得すべき!みたいに考えていたので。
「待って」や「いいの」で適切に(あくまで人間都合ですが^^;)動いてもらえるならそれでいいんですね。
なんだかちょっと気が楽になりました♪
ワンが発していることをまだまだ理解できていないので、私が頑張らなくてはならないことはたくさんあるのですが。
先週からやっと伸縮リードを脱出して2mリードにチャレンジしています。時折突進はしますが、想像していたよりもピン張りの機会が少なくて、これならいけるかも?と思っています。
うちの地域で、そちらのお散歩会のようなことをやっているところはないのかなぁと検索中です。
コタローくんとケイトちゃんの窓辺で並んでいるところ、いいですね♪その光景を眺めているだけで幸せな気分になれますね。
★おかゆさんへ★
犬を理解するために人間が犬語を勉強する、
それはとてもいいことだというのは間違いありません。
が、教科書に書かれてることが全てではないし
真逆なことはないかもしれませんが
微妙なニュアンスの違い
個体差はとても大きいものだと思いますから
やはり自分の犬を見ることがいちばんだと思うんです。
そうやって人間も犬に歩み寄り
犬も人間に歩み寄る、
コミュニケーションって双方向で
初めて成り立つものなんだろうなと考えています。
もちろん大勢集まるお散歩会もいいものですが
でも何より日々の散歩がいちばん大切ですよね♪
いつもたくさんの犬がいる必要はなく
たった二頭で歩くだけで
世界がぐんと二倍に広がると思います!
十頭いたからって十倍にはならないものです(笑)。
ですので、ぜひご近所でちょっと遠まわりのお散歩を
気の合う犬同士、飼い主同士で歩いてみることが
おススメです。
楽しそうに歩いていれば
きっと三頭、四頭集まってきて
まるでお散歩会になると思います♪
わんにゃんが寄り添う姿は癒されます~(*^_^*)