私が子供の頃、実家で飼っていた犬、北斗の話を残しておこうと思います。
最初に宣言!しておきますが、犬が悲惨な事故で死ぬ話です。こんな話はダメ~!な方は、ここから先へは進まないようにお願いします。しかも長文(ーー;)
北斗は、私が小学4年の時に母が連れてきた柴犬です。
私は小さい頃から犬が好きで、親戚の近所が野良犬の宝庫(!昔はたくさん野良犬っていました)だったこともあり、たくさん野良ワンコと接する子供でした。
初めて目の開いてない幼い犬の仔を見せてくれたのも、野良ワンコのママでした。
犬を飼う予定もないのに「犬の飼い方」なる本をたくさん買う子供でした。
そんな私を不憫に思ったかは知りませんが、ある日母がブリーダーから柴犬ワンコをつれて帰ってきたのです。家族誰も犬の飼い方など知らぬスタートでした。
私が空の星からつけた名前をもらった柴ワンコ・北斗。甘噛みがひどい時期もあったような気がします。
今でも覚えているのは、北斗がワガママ放題になり、母が一晩かかって、今で言うところの服従をさせた夜のこと。母は私に「お前はもう寝なさい!」と言い、北斗と真剣に向き合った日の事。
私はそれまで温和な野良ワンコと親戚の家の温和で賢い雑種・ゴローさんしか知らず、不安な思いでベッドに入ったことを思い出します。
北斗は、いわゆる生粋の柴ワンコでした。
飼い主にしか服従しない・クール・他人には吼える・脱走癖がある・・・。
もっとちゃんとしつけが出来ていれば、ものすごいお利口になったと思う。オスワリやオテを覚えたのはたった2、3時間の出来事。面白半分に教えた私。
でも家庭犬としての器量は???です。私たちにそれだけの技量がありませんでした。
北斗は母と私にはとてもフレンドリーな柴犬。でも父(←ほんとは犬を怖がってた)や姉には「俺に触るなよ!」なワンコ(ーー;)もちろん他人なんてそれ以下です。
北斗と私は、何度もケンカして、何度も仲直りしました。
私の大事なぬいぐるみを破壊したときは本気で怒りました。そのときのショボンとした顔、今でも忘れられません。でもそれは兄弟ゲンカ並み。北斗が降参するときもあり、私が降参するときもあり。寝ている私の顔の上に北斗がやってきて、口の中に北斗の脚がゴボっと入ったことも数知れず。
北斗は親戚の犬・ゴローさんがとっても大好きでした。私も賢いゴローさんが大好き!
ゴローさんは、今で言うMIX犬。でもほんとに賢いワンコでした。決してヒトに噛んだりうなったりせず、交差点の信号は守り、お店の前でノーリード(=放し飼い)にもかかわらずちゃんと待つ。
ゴローさんはとても私を好きでいてくれました。
ゴローさんも放し飼い(今では信じられませんが、昔の田舎ではよくありました)されている時に、3キロ離れた私の小学校まで放浪してきたりしたワンコ。うぬぼれかもしれませんが、ゴローさんは私を追ってきてくれたのだと皆が言いました。私もそう思います!とても私と仲良しでした。
北斗はゴローさんと2歳違い。ゴローさんの後について回り、ゴローさんもとっても北斗をかわいがってくれました。オス同士でいたけどね。
北斗が他の犬にケンカを売り、明らかに北斗が悪くても北斗の味方になり、北斗より前に出て他のワンコから北斗を守るために激しく吼えるゴローさん。
思えば、ゴローさんのコワイ顔を見たのは北斗を守るときだけです。
ゴローさんは、フィラリアで亡くなりました。
昔はフィラリアの治療薬・予防薬などなく、フィラリアで亡くなる犬がほとんどだったと思います。
亡くなってからは北斗はゴローさんを毎日探して探して・・・。ゴローさんがいない事実に最後まで慣れなかったような気がします。思えば、この頃から北斗はよく脱走するようになりました。
ゴローさんがいなくなって2年ぐらい経った頃でしょうか。
北斗は基本的には室内飼いのワンコでしたが、しょっちゅう脱走してました。
普通は1日たったらけろっと帰ってくるんです。でもその日は2日経っても帰ってこない・・・。
心配になって保健所にも警察にも連絡しましたが、該当犬なし。そして3日目、私が中学校に行っている間に、北斗を保護しているという連絡が入りました。
北斗の首輪には、鑑札をつけていました。保護された方はその鑑札から、実家をたどって連絡をくれたそうです。
北斗は・・・・・・、線路脇で尻尾・両後足がなくなった状態で保護されました。汽車に轢かれたのだと思われました。
いつもは他人に撫でさせることもしない北斗でしたが、抱きかかかえられてもうなることもかむことも全くしないで保護されたそうです。
迎えに来た母を見て、北斗はとてもうれしそうにしたそうです。
なくなってしまった尻尾をふって。
母は、保護されたお宅に信頼している獣医さんに往診してもらいました。
その獣医さんは、体罰などいっさいしないのに、ワンコが不思議に大人しくなる先生でした。今まで北斗をたたいてしかりつける獣医さん(しかも何してないうちからです。柴犬だからか?最初から強制的に服従させようとしたらしい)しか知らなかった私たちには、まるでマジシャンを見てるような先生でした。
獣医さんは・・・
このまま後足がないままでとりあえず処置することも出来る、
だけどこの仔はとても気が強い・わがままな子です
自分の自由が効かない状態で耐えられるかわかりません
どうされますか?
と言われたそうです。
母は、結局安楽死を選択しました。もし家に連れ帰り、私と相談の上だったら、私は決して安楽死を選択しなかったと思います。
でも、いちばん北斗を愛している母は、いちばん母を愛してる北斗に安楽死を選択しました。
母は、自分の腕の中で安らかに息を引き取っていく北斗を最後まで看取りました。
母を責めるのは簡単です。でも・・・
今なら、後足をなくしても元気に生きる道があったかもしれない。
でも二十年前の田舎の出来事です。
ちゃんとしつけのしてやれなかったワガママイッパイのワンコです。
学校から帰って、冷たくなってしまった北斗を見たとき、中学生の私は母を責めることができませんでした。
母は、私に北斗の哀れな姿を見せないように下半身に毛布をかけてつれて帰ってきました。
「見ないほうがいい」といいました。
母が立ち去り、北斗と私の二人きりになりました。
いつも北斗がいた玄関。北斗は、私が悲しいとき・辛いときに話を聞いてくれました。泣きながら北斗に打ち明けた話もたくさんありました。そのときの北斗は、私の涙をよく舐めてくれました。
今は、北斗は見慣れない箱の中、見慣れない毛布にくるまっています。
私には北斗の最後の姿を見る権利があると思いました。
私には北斗の最後の姿を見る義務があると思いました。
私は、北斗にかかっている毛布をめくりあげ、ちゃんと北斗の最後を見ました。
・・・無残な姿でした。
学校から帰った私を迎えた尻尾はありません。
私を遊びに誘ったあの後足はありません。
この状態でよく生きていたと思えるくらい、ひどい体でした。
私は泣きました。北斗に謝りました。
こんな姿にしてごめん、こんな姿のお前を生かしてやれなくてごめん・・・。
北斗は、大好きだったゴローさんと同じ山に埋葬してあります。
虹の橋で、北斗はゴローさんと一緒に、四本足で思いっきり駆け回ってると思います。
私のことは待ってるかあやしいな。
でもきっと母のことは待ってると思います。
たとえ安楽死しか選択できなかった飼い主でも、北斗は間違いなく母を一番愛してました。
ここまで私の拙い話を読んでくれた皆さん
もし怪我をしてるワンコを見かけたら、保護しようとしていただけるとうれしいです。
そのワンコが保護を拒否したら(唸ったり噛み付こうとしたりしたら)保護できなくても仕方ありません。無理は言いません。
でもそのワンコを、せめて最後は愛している人の傍で逝かせてやりたいのです。
ひとりぼっちで死ぬより、母の傍で息絶えることが出来た北斗は最後に少しの幸せを感じることが出来たと思うから。
今でも、北斗を保護してくれた方に感謝しています。
重症の血まみれワンコ、見ないふりしても仕方ないと思いますもん。
でもその方はちゃんと保護してくれて、飼い主まで連絡してくれました。
昔犬を飼ってたことがあるそうで、北斗の鳴き声を無視できなかったそうです。
その気持ちが、とてもありがたかったです。
うちの実家の母はまだまだ元気ですが、私が犬(=コタロー)を飼ったことを知ると、うらやましがります。柴犬はたいへんだよ~と言います。でもやっぱり、母の中での最高のワンコは北斗みたいです。
北斗との別れは壮絶ですね・・・ 犬に情を掛けていた飼い主が安楽死を選択するのは辛いことです。 その決断もまた、深い情がなければ出来ないことです。そして睨んだとおり、まきママさんの犬センスの原点は子供の頃にありましたね。 野良犬と友達だなんて、僕と一緒です。それと、過去の苦い経験を糧にしているところも似ています。